ヤマハ音楽教室幼児科、専門コース、上級科コース出身。
フェリス女学院大学卒業・東京芸術大学別科修了(いずれも器楽科・ピアノ専攻)
これまでに田村元子、日比谷友妃子、田口純子、浜口奈々、重松正大の各氏に師事。
フェリス女学院大学附属音楽教室に勤務の傍ら自宅にて個人レッスンを始め、2012年に泉区岡津町にてERIKOピアノ教室を開設。2年後には常時40名以上の生徒さんが在籍して下さるお教室に成長。
2022年2月より戸塚区鳥が丘に教室を移転。
〜自己紹介・私のピアノ歴〜
横浜市の戸塚区で生まれ、秋葉幼稚園、柏尾小学校、岡津小・中学校、県立光陵高校出身の横浜育ちです。
3歳の頃にヤマハ音楽教室幼児科に入室、ソルフェージュやアンサンブルを通して音楽の楽しさに目覚め、年長からは専門コースでグループレッスンとピアノや作曲の個人レッスンに通っておりました。
ヤマハのグレード試験では即興や伴奏づけの課題が楽しく、ピアノで自由に遊び弾きをするのが好きでした。
小学校から帰ると当時両親が買ってくれたクラシックピアノ曲のベストセレクションのカセットテープを聴くのが日課で、特にショパンのノクターンに大ハマり・・・
ヤマハ音楽教室時代は自分のオリジナル曲を発表する機会も多くあり小学6年生、中学2、3年の頃にテレビ朝日系のジュニアオリジナルコンサートに出演させて頂く機会にも恵まれました。
個人レッスンや作曲のレッスン、ソルフェージュやアンサンブルのグループレッスンと音楽にどっぷりな毎日を過ごし、この幼少時代からの経験が「自分で考えて自発的に行動する」「想像力を働かせて物事を考える」「コミュニケーション能力」「やり抜く力」「積極性」と私にとって人生を生き抜くためのに必要な力を育んでくれたと感じています。
高校は音楽高校ではなく、勉強第一!!という雰囲気漂う公立高校に進学したのですが、高校生活が始まって自分の進路を考えるようになると、もっとピアノを極めたい!!という想いに駆られました。
ヤマハのシステムを一通り終えた私は、ご縁があってピアノ指導者として全国区的に有名な日比谷友妃子先生の門下生になることが出来ました。日比谷先生のレッスンはピアノの奥深さを私に気づかせて下さるような有意義なレッスンで、妥協のない熱い指導に私の演奏もどんどん変わり、ピアノにのめり込んでいきました。どれくらい変わったかというと、高校一年生で予選落ちしていたコンクールに入賞したり優勝したりすることができるほどに激変!そして何よりピアノが大好きになりました。
高校生で多感な時期でしたが、「絶対に将来はピアノの先生になる!」とこの頃に私の夢が明確になったのでした。
門下生は優秀な方が多く、おさらい会や発表会で他の門下生の演奏を聴くのが毎回楽しみでたまらず、また刺激的な経験でした。切磋琢磨している門下生の雰囲気があり、私を成長させてくれました。こうした経験もあり今の教室では生徒さん同士が演奏を聴き合うような機会を大切にしております。
大学に入ると音楽だけではない総合大学の良さを活かし、心理学やスポーツ系の単位も取りながら、音楽は専門性の高い授業を受け、さらにピアノに励み、学内の試験・演奏会も積極的に取り組みました。特に印象に残っているのは、ヴィレム・ブロンズ先生やシュテファン・ゼーバス先生のマスタークラスのレッスンを受ける機会に恵まれた事です。その他、室内楽や声楽、クラヴィコードの実技のレッスンも演奏の幅を広げるのにとても役立ちました。この頃からピアノ以外の楽器も大好きになりオーケストラの音楽会にもよく出かけていました。
卒業後はそのまま大学附属のフェリス音楽教室に勤務しながら自分の将来について悩み模索しつつ、もう一度ピアノをじっくり勉強したい!と思うようになり、東京芸術大学別科を受験し運よく合格することが出来ました。2回目の大学生活は音楽教室の仕事やアルバイトで働きながらで超ハードでした。今振り返るとあんなこと若かったからできたなぁ・・・と思います。
芸大での2度目の学生生活はレッスンも厳しく仕事と両立しながらで心身共に疲弊してしまいましたが、ピアノを愛する気持ちはより一層強くなりこれからは自分が大好きな音楽に向き合ってきた経験を活かして多くの人に、特に子供たちにピアノを教えることを通じて音楽の素晴らしさを伝えたい!と心から思うようになりました。
そして2012年!ERIKOピアノ教室を立ち上げることになりました!
この10年間、沢山の素晴らしい生徒さんとの出会いに恵まれて、ピアノ教師としての経験を積ませて頂く事が出来、感謝の気持ちで一杯です。
現在、一児の母として主婦業、育児をしながら新教室でのレッスン、師匠の重松正大先生のレッスンにも通い、ピアノ教師としてさらなる飛躍を目標に、日々アクティブ、パワフルに頑張っております♪